HOMEアトツギノート後継者, アトツギ甲子園代々受け継いだ牧場を常に進化させていく。 千葉の乳製品を全国、世界、そして宇宙へ。

代々受け継いだ牧場を常に進化させていく。 千葉の乳製品を全国、世界、そして宇宙へ。

代々受け継いだ牧場を常に進化させていく。 千葉の乳製品を全国、世界、そして宇宙へ。

酪農の6次産業で乳製品を展開するアトツギ:株式会社須藤牧場  須藤 健太 氏

<この連載は…>
先代の経営資源を引き継ぎ、新たに独自の事業を立ち上げようと奮闘する後継者たちのアトツギ・ストーリー。「アトツギ甲子園」過去大会ファイナリストたちの出場後について聞いてみました。

弱冠7歳にしてアトツギを決意

大正時代から千葉県を拠点に営まれてきた、須藤牧場。創業より牛の健康を第一に考えた運営方法をとっており、現在は生乳生産の他、自社での乳製品加工や直営店の運営、酪農体験の受け入れといった6次産業を展開する。

そんな須藤牧場の4代目代表を務めるのが、須藤健太(すどう・けんた)さんだ。現在31歳の須藤さんが家業を継ぐことを決めたのは、なんと小学2年生のとき。

「牧場に来た子どもたちの楽しそうな笑顔を見たことがきっかけです」

須藤さんは弱冠7歳にして家族にアトツギ宣言。大人になっても家業への想いは変わらず、2023年に須藤牧場の代表に就任した。


須藤牧場の牛は”夏は冷涼・冬は温暖”という最適な気候で暮らしている

「僕は次男で、兄と姉がいますが、兄は子どものころから家業以外の夢を持っていたので、『家業を継ぎたい』と話をしたときも、家族にはすんなり受け入れてもらえました。」

幼い頃からの夢を叶えた須藤さんだが、彼は「牧場経営」がしたかったわけではない。

「アトツギになることを決めたのは、酪農をやりたいというよりも、『須藤牧場をなくしたくない』という思いからでした。幼少期、須藤牧場では酪農の絵本の読み聞かせやクリスマスのイルミネーションなども行っていたので、『継ぐ人がいないと牧場がなくなる』と聞いたときに『こんなにも自由で楽しい牧場をなくすのはもったいない』と思ったんです」


常に新しいことにチャレンジする社風

「幕府が日本酪農を開発し、やがて少しずつ民間へ移っていきました。その中で、須藤牧場初代の須藤源七が酪農を始めたのは今から約100年ほど前のこと。当時は畑を耕すトラクターの代わりに牛を飼っていたので、その流れで酪農も始めたんです。

父は、日本では珍しい、牛が自由に歩けるフリーストール牛舎を建てたり、母は全く認知されていなかった酪農体験の受け入れを強化したりと、須藤牧場は、常にチャレンジを続けてきました」

新たなチャレンジとして6次産業を展開し始めたのは、2007年のとき。酪農体験をした子どもたちからの「ソフトクリームが食べたい」という声と、姉の乳製品加工への興味が合致。さらに、国が6次産業を推進していることも相まって、カフェ経営がスタートした。

その後も直営店の拡大のほか、自社ブランドの牛乳や、カップアイスの販売など多角的に挑戦を続けている。


こだわりの生乳をいち早く届けるため、自社農場の近くにある自社プラントにて製品製造を行なっている。写真は左から、裕紀さん(父・共同代表)、陽子さん(母)、健太さん

そして須藤さん自身の挑戦となったのが、「アトツギ甲子園」への出場だ。

第3回「アトツギ甲子園」では、決勝大会ファイナリストおよび準ファイナリストは持続化補助金に申請が可能となっていた。

「補助金について調べていると、公募要項に『アトツギ甲子園』と書いてあり、『これはなんだ!?』と。『チャンスがあるならやってみよう』と思いました」

須藤さんは、2023年に開催された第3回「アトツギ甲子園」に出場。見事決勝大会ファイナリストに選ばれ、演劇経験を活かした力強いピッチを披露した。


「アトツギ甲子園」の出場が事業と自身の成長の鍵に

須藤さんがピッチで発表したのは、須藤牧場で2019年より毎年開催している「生シェイク祭り」を全国展開する企画だ。生シェイク祭りとは、さまざまな飲食店が須藤牧場のジャージー牛乳アイスを使ったオリジナルの生シェイクを特別開発して販売するイベント。2022年の開催時には71店舗が参加し、大規模イベントとなった。

「『アトツギ甲子園』の期間中は、すごく楽しかったです。事務局の方々が温かくサポートしてくれましたし、とても熱意を感じました。アトツギに期待感を抱いてくださっていることも伝わってきたので、励みになりました」


牛柄の洋服と力強いピッチで見る人に大きなインパクトを残した

須藤さんは決勝大会ファイナリストになったことで、当初の目的だった補助金の加点を達成。しかし、「アトツギ甲子園」で得られたものは他にも多くあった。行政からの注目度がアップし、実際に行政から飲食店にイベント参加を促してくれることも。

生シェイク祭りにも大きな変化があった。

「生シェイク祭りは、もともと千葉県だけでなく兵庫県の淡路島でも開催していました。『アトツギ甲子園』の出場後は、兵庫県の地域おこし協力隊の方々が会社を設立し、地域の酪農家の牛乳を使ったアイスをつくる工場を建てたんです。僕はコンサルタントとして携わり、兵庫県で自走できる状態を作り出すことができました」

「アトツギ甲子園」の出場は、須藤さんが成長するための火種にもなった。
「当初の目的は達成できたとはいえど、最優秀賞をいただけなかったのは非常に悔しかったです。結果には納得していますし、自分が未熟であったことを痛感しています。もっと知識を身につけて事業の見直しをするべきだと考え、中小企業診断士の勉強も始めました」

また、社内改善にも繋がったという。
「アトツギ甲子園」がきっかけで出会った企業を参考に、自社の組織や報酬制度を再構築。結果的に社内全体の意識向上へ繋がり、売上アップ、営業利益も黒字になった。

従業員たちの須藤牧場における今後のビジョンへの関心も高まり、昨年からは毎月部門ごとの戦略を社内周知する施策発表会を開催し、全社一体となって事業に取り組んでいるそうだ。


将来は宇宙食にも須藤牧場の乳製品を

現在、須藤牧場では経年劣化した牛舎の建て直しを検討中。再建において重要なのは、30年後も効果的に機能する牛舎を建てること。須藤さんは、目まぐるしく変化する現代で「30年後を考えることは課題であり、楽しみでもある」と語った。さらに、須藤さんはもっと遠い未来を見据えている。

「僕は90年後、120歳になっても元気に活動していると思っています。90年後も自分が評価されることを想像しながら行動するのは、とても楽しい。まだまだ須藤牧場の事業で遊びたいので、これからも様々なチャレンジをしていきたいです」


須藤さんはこれからも須藤牧場の牛たちと共に数々の挑戦をしていく

また、今後は海外展開を視野に準備を進めている。

「まずは日本が抱える課題を解決するため、乳製品の製造と販売に注力し、ゆくゆくは海外展開していきたいなと。特にインドは人口が多くて酪農が盛んな一方で、食事情の課題を抱えています。我々の長年の酪農ノウハウを活かして、世界各国の食事情の解決にも貢献していけたらと思っています」

須藤さんがやりたいことは他にもある。世界だけに留まらず、宇宙にまで目を向けているのだ。

「宇宙飛行士の食事には、高い確率で乳製品が入ってるんです。宇宙空間ではカルシウムの摂取が重要らしく、乳製品の需要は絶対にあると思うんですよ。いずれは宇宙で牛と暮らして、みんなでチーズを作って、アイスを食べる。そんな生活ができる未来を目指したいです」

ワクワクしながら今後の展望を話す須藤さん。最後に、今後「アトツギ甲子園」に出場するアトツギにエールを送ってもらった。

「『アトツギ甲子園』は準備すればするほど、良い結果が得られると思います。個人的には同郷の方や農家の方に受賞していただけると嬉しいですね。異業種の方とも出会えるとても良い機会でもあるので、ぜひ全力で頑張ってください!」

経営者に事業展望を聞くと、数年後のビジョンや海外展開を語る人は多い。しかし、自身が120歳になったときのことや宇宙展開まで考えている人はそういない。5年後、30年後、90年後、須藤牧場がどのように変化していくのかが楽しみだ。



事業者名:株式会社須藤牧場 (千葉県館山市)
代表者名:須藤裕紀 須藤健太(共同代表)
ホームページ:https://www.sudo-farm.com/
SNSリンク:https://www.facebook.com/sudobokujyo/



<ピッチ動画リンク>

第3回「アトツギ甲子園」決勝大会 須藤 健太氏のピッチ動画はこちら

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