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60年以上受け継がれる山形の卵を世界へ。 卵で農畜産業界と東北地方を盛り上げていく

60年以上受け継がれる山形の卵を世界へ。 卵で農畜産業界と東北地方を盛り上げていく 卵の世界進出でブランド価値を高めるアトツギ:株式会社半澤鶏卵 半澤 清哉氏

<この連載は…>
先代の経営資源を引き継ぎ、新たに独自の事業を立ち上げようと奮闘する後継者たちのアトツギ・ストーリー。「アトツギ甲子園」過去大会ファイナリストたちの出場後について聞いてみました。


生まれたときから身近にある卵の道へ進むことを決意

山形県にある、株式会社半澤鶏卵。鶏卵の生産から加工、販売までを展開する、まさに卵一筋の企業だ。卵を半熟燻製させた「スモッち」や直営店でつくられるプリンが人気。


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卵関連の企業は事業を細分化していることが多く、半澤鶏卵のように6次産業化を実現している会社は少ないのだという。そんな半澤鶏卵の3代目アトツギが、半澤清哉(はんざわ・せいや)さんだ。

半澤さんはもともとプロ野球選手を目指す生粋の野球少年だったが、自身の実力とプロのレベルの圧倒的な差を目の当たりにし、自分が勝負する道は野球ではないと感じ、そこで家業を継ぐことを考え始めたのだそう。

「『自分には何があるんだろう』と考えたとき、真っ先に思いついたのが卵だったんです。生まれたときからずっと身近にあって、卵の事業に一生懸命に取り組む家族や従業員の姿も見ていたので、『これしかない』と思いました」

家業を継ぐことを決めた半澤さん。しかし、大学卒業後すぐに半澤鶏卵で働き始めたわけではなかった。

「父に家業へ入りたいと伝えたときは、嬉しそうな顔をしていました。ですが『家業に入るのは他の企業で働いてからでもいい。焦らなくていいよ。いろんなものを見て、やっぱり家業を継ぎたくないと思ったらやらなくてもいい』と言われて。父は大学卒業後すぐにUターンして半澤鶏卵を継いだので、他の企業でも仕事の経験を積めばよかったと思っていたのかもしれません。父から『継いでほしい』と言われたことはないのですが、僕自身は継ぐことを決めています」

半澤さんは企業に勤めつつも、「創業者の思いを知りたい」「自分で売り上げをゼロから作りたい」という思いから、株式会社RISEを創業。クラウドファンディングのコンサルティングや家業の卵の卸売事業を展開している。


卵を海外進出させることでブランド価値の向上を図る

半澤さんは2024年に開催された第4回「アトツギ甲子園」に出場、優秀賞を受賞した。本大会のことはInstagramの広告で知り、youtubeで過去大会ピッチの様子を見てすぐに「自分も家業の可能性を伝えたい」と出場を決意。書類選考に通るまでは誰にも「アトツギ甲子園」出場を伝えていなかったそう。そんな半澤さんが、プレゼンの内容や背景を次のように語ってくれた。

「第4回『アトツギ甲子園』では、日本の高級卵を世界に販売していく新規事業をプレゼンしました。世間では『卵は安価で栄養が摂れる食材』と評価されているが故に、価格で選んで購入する方も多いと思います。

価格で選ぶことを否定する気持ちはありません。ですが、養鶏業界が淘汰されている現状を目の当たりにしていると、いつか半澤鶏卵もその波に飲まれる時期が来るかもしれない。半澤鶏卵の卵を海外で販売することで、ブランド価値を高めていきたいと考えました。このプレゼンができたのは、半澤鶏卵の歴史や積み上げてきたものがあったからこそ。祖父や父、従業員の方々には本当に感謝しています」


「アトツギ甲子園」のステージに立つ半澤さん。事業へかける想いを熱くピッチ。

また、半澤さんが「アトツギ甲子園」で背負っていたのは家業だけではない。自身が育ち、家業を営む場所でもある東北地方への熱い想いが込められていた。

「当時、僕の知る限りでは過去大会の入賞者に東北地方の企業がいなかったんです。東北地方からのエントリー者数も少なかったので、すごく悔しくて。同じ山形県からエントリーしたホクシア株式会社の安孫子さんと、『必ず山形からてっぺんを取ろう』という話をして大会に臨みました」

高い熱量を持って第4回「アトツギ甲子園」にエントリーした半澤さん。地方予選大会(北海道・東北ブロック)でのプレゼン後はかなりの達成感があり、プレゼンの内容も高く評価され、見事決勝大会への切符を手にした。しかし、審査委員を務めた株式会社SHONAI代表取締役の山中大介さんからは『プレゼンが下手くそすぎる』という率直で手厳しい評価が下された。そこから決勝大会に向け、半澤さんと山中さんによるプレゼン資料のブラッシュアップ作業が繰り返されることになった。

「山中さんには寝る間も惜しんで時間を割いてもらったので、『結果を出さないわけにはいかない』という気持ちでいっぱいでした。東北地方大会から決勝までの2週間は非常に大変でしたが、学びも多く、貴重な時間を過ごせたと感じています。山中さんと出会えたことも、出場してよかったことのひとつです」

山中さんとの二人三脚で決勝大会まで駆け抜けたことは、半澤さんにとってかけがえのない体験に。また優秀賞を受賞したことで、多くのメディアにも取り上げられた。「普段はあまり褒めない祖父が『アトツギ甲子園』の記事が載っている新聞を見て、すごく嬉しそうにしてくれていたみたいで」と半澤さんは笑みを浮かべながら語ってくれた。


親子3代の写真。左から清助さん(現会長)、清彦さん(現代表)、清哉さん


卵が世界を変えていける食材であることを確信した

家業の後継者の中には、従業員との関係構築に悩む人もいる。しかし半澤さんの場合は、「アトツギ甲子園」に出場したことが、従業員とのコミュニケーションや信頼獲得のきっかけにもなったという。

「半澤鶏卵の従業員の中には、当然僕自身のことをよく知らない方も多くいらっしゃいます。ですが、『アトツギ甲子園』をきっかけに僕のことを知ってくださったり、『大会、見ましたよ』と声をかけてくださったりしました。なかでも『半澤鶏卵の名を背負って大会に出てくれたことが誇らしかった』と言ってもらえたのは、すごく嬉しかったですね」

半澤さんが「アトツギ甲子園」に出場して起こった出来事は、それだけではない。山形市長への表敬訪問やメディア出演、講演依頼など、活動の場がグッと広がったのだ。

渋谷クロスFM出演時のオフショット。メディア出演を通じてさらに認知度が向上した

「山形の商工会や(公社)日本農業法人協会といった団体から講演の依頼をいただきました。たとえば(公社)日本農業法人協会は、40〜60代の方がほとんど。僕より遥かに年上の方々に何を話せばいいのか悩みましたが、僕の生き方や、やってきたことをありのままに話すことで、『山形の若い人が頑張っているから、自分たちも負けてられないな』と思ってくださったみたいで。講演を聴いて泣いてくださった方もいたそうで、更に半澤鶏卵の従業員さんも何名か来てくださっていたことを後から知り嬉しかったです」

「アトツギ甲子園」を経て、半澤さん自身のマインドにも変化があったとのこと。

「卵はさまざまな料理に使われるオールラウンダーである代わりに、主役になりづらい食材だと感じていたんです。ですが、プレゼンが評価されたことで卵が世界を変えていける食材であることを確信し、事業に自信が持てるようになりました。卵業界のもとに生まれてよかったと思えた瞬間でもありました。今までやってきたことがすべて繋がっていると日々実感していますし、『アトツギ甲子園』が僕の自信を加速させてくれた大切な経験となっています」

半澤さんがプレゼンした卵の海外進出についても、実現に向けて進めている。もともと香港とシンガポール、ハワイには輸出しており、現在はドバイに向けた準備が進行中。実現は2〜3年後の見込みとのことだが、非常に楽しみだ。


半澤鶏卵を世界への架け橋のような存在に

半澤鶏卵の事業や半澤さんの活躍の場が広がっている一方で、まだまだ課題もある。1つ目はニワトリの餌の供給を安定させること。一定の美味しさの卵を生産するためには、餌がとても重要となる。卵の需要に応じてしっかり供給ができる体制づくりが不可欠だ。


半澤鶏卵のニワトリの様子

そして、半澤さんはあと2つの課題を次のように語った。

「2つめは、人口の減少。現在山形県は人口約100万人ですが、毎年約1万人ずつ減っています。単純計算すると100年後には誰もいなくなってしまう。むしろ、人口の減少は加速していくと考えています。現在の半澤鶏卵の販売ルートは東北地方中心なので、首都圏や海外にももっと積極的に販売していく必要があると思っています。

3つめは組織体制の見直し。父が家業を継いだときの従業員は10名程度でしたが、現在は約80名近くまで増えました。組織が拡大すれば統率の取り方も変わりますし、従業員間で問題が発生する可能性もある。僕が家業に軸足を置いたときには、しっかりと従業員たちとコミュニケーションを取りながら組織改革を進めていきたいと考えています」

世間や業界の状況をしっかりと把握しつつ、事業に向き合っている半澤さん。今後の展望を聞くと、家業だけでなく農畜産業界全体の未来を考えていることがよく伝わってきた。

「『アトツギ甲子園』の出場やメディア出演で僕自身や半澤鶏卵の認知度が上がったことは、大きな武器になります。父の代では山形県内や東北地方に事業を広げてきたので、僕の代では日本全国、そして世界に半澤鶏卵の卵を広めていくことが使命だと。

日本の農産物は果物や野菜も含めてトップレベルの品質なので、もっと評価されるべきだと思います。僕らの卵を応援してくださる人が増えれば、日本の農畜産業界全体がもっと盛り上がるはず。そのためにも、半澤鶏卵が世界への架け橋のような存在になりたいと考えています」

最後に、半澤さんより「アトツギ甲子園」の出場者にエールを贈ってもらった。

「『アトツギ甲子園』はピッチ大会なので、どうしても順位がつきます。結果的に僕は優秀賞をいただくことができましたが、何も受賞していなかったとしても、絶対に出場してよかったと思っていたはずです。何かに本気で取り組むことは人生の中で何度も経験できることではありません。期間中は大変なことが多くあったものの、いろんな人と出会うきっかけにもなりましたし、間違いなく自分の成長につながりました。エントリーされる方は、とにかく全力で取り組んでほしいです。結果に落ち込むこともあるかもしれませんが、その分得られるものも多いはず。頑張ってください!」

父から「継がない」という選択肢を与えられながらも「継ぐ」選択肢を取った半澤さんからは、「絶対に半澤鶏卵と農畜産業界を大きくする」という確固たる意志を感じる。今後、半澤鶏卵の卵がどのように世界に羽ばたいていくのか注目だ。



事業者名:半澤鶏卵(山形県天童市)
代表者名:半澤 清彦
ホームページ:https://sumotti.com/
SNSリンク:https://www.facebook.com/sumotti



<ピッチ動画リンク>
第4回「アトツギ甲子園」決勝大会 半澤 清哉氏のピッチ動画はこちら

 

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