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茨城県産の最高級栗入り羊羹でみんなを笑顔に。「日本といえば和菓子」と言われる世界を目指す

茨城県産の最高級栗入り羊羹でみんなを笑顔に。「日本といえば和菓子」と言われる世界を目指す 高付加価値和菓子を世界に広げるアトツギ:株式会社常陸風月堂 藤田 浩一 氏


<この連載は…>
先代の経営資源を引き継ぎ、新たに独自の事業を立ち上げようと奮闘する後継者たちのアトツギ・ストーリー。「アトツギ甲子園」過去大会ファイナリストたちの出場後について聞いてみました。

和菓子の奥深さにのめり込み、職人の道へ

茨城県日立市に店を構える、1948年創業の老舗和菓子店、菓匠風月(かしょうふうげつ)。茨城県が誇る最高級の飯沼栗を贅沢に使用した栗羊羹「万羊羹」や、生クリーム入り「かまくら大福」は、長年地元の人々に愛され続けている看板商品だ。かつては「御菓子司 風月堂」という店名で親しまれていたが、2023年12月、創業75周年を機に、「菓匠風月」へと改称した。この老舗の暖簾を受け継ぐ三代目が、藤田浩一(ふじた・こういち)さんである。


店名の変更に合わせて看板と暖簾も一新。モダンなロゴが目を引く

藤田さんは学生時代、和菓子職人ではなくシステムエンジニアを志していた。どのような経緯で和菓子の道に辿り着いたのだろうか。

「中学生の頃、社会現象ともなったWindows 95の登場をきっかけに、パソコンの可能性に魅せられ、情報処理を専門とする高校に進学しました。ところが、当時のプログラミングは、今のように便利なツールはなく、ひたすらキーボードで文字を打ち込んでいくという、非常にアナログな作業でした。しかも、わずかなタイプミスが致命的なエラーにつながるため、完成までには気の遠くなるようなチェック作業が必須。仕事としてこの作業を毎日続けることはできないなと感じました」

システムエンジニア以外の道を考え始めた藤田さんは、和菓子の専門学校に進学することとなる。その動機となったのは和菓子職人への志や家業ではなかった。

「進路に悩んでいたとき、母に『和菓子の専門学校に行くなら東京に行ってもいいよ』と言われて。東京の大学に通う2人の姉の話を聞いていた影響もあって、都会への憧れを抱いていました。『向いていなければ違う職へ』という軽い気持ちで、東京の和菓子の専門学校に進学しました」

母親の勧めで専門学校に進学した藤田さんだったが、予想外にも、入学後はどんどん和菓子の世界にのめり込んでいった。

「和菓子特有の歴史の奥深さや、日本文化との繋がりがおもしろくて。自分の手でモノを作り出す楽しさも実感して、そのまま和菓子の道に進むことを決めました」


菓匠風月の和菓子はすべて手作り。ひとつずつ丁寧に仕上げていく

卒業後は、神奈川県の和菓子屋に就職して修行を積んだ。5年ほど働いた頃、父親からの連絡をきっかけに茨城県にUターン。家業を継ぐことになった。

「珍しく父から電話があり、『もう先は長くないかも』と切り出されました。普段ほとんど連絡がないため、『すぐに帰らなければ』と思いましたが、実際は健康診断で悪い結果が出ただけで、不安になったようです。それをきっかけに、父が働けなくなっても菓匠風月の和菓子を繋いでいけるよう、家業に入ることを決めました。」

茨城県の最高級栗を使った羊羹で笑顔を届けたい

藤田さんは、2023年に開催された第3回「アトツギ甲子園」でファイナリストに選ばれた。
第2回大会では書類審査で落選したが、エントリーに39歳以下という年齢制限がある中、出場資格のある最後の年、見事ファイナリストの座をつかんだのだ。
「和菓子作りと一緒で、ピッチも一度で上手くいくものではないと思っています。書類審査落選後は過去のファイナリストたちのピッチ映像や周囲の意見を参考にしながら、資料を何度もブラッシュアップしました。僕は職人気質で経営が得意とは言えない分、とにかく『農家さんを助けたい』『和菓子をたくさんの人に届けたい』という思いを熱量込めて伝えることに意識を向けました」


2度目の挑戦で掴み取った全国の舞台。和菓子に込めた思いを熱く語る

藤田さんが第3回「アトツギ甲子園」の決勝大会で発表したのは、茨城県産の最高級栗を使った栗蒸し羊羹「万羊羹」を高付加価値商品として海外展開するプラン。販売単価を引き上げることで美味しい和菓子を全世界に届けると同時に、栗農家へ利益還元を増やすことが狙いだ。

「どれだけ栗農家の方々が手間暇をかけて生産しても、その価値が市場で正当に評価されるとは限りません。彼らは年に一度の収穫で得たお金で1年間過ごすことになる上に、2024年は収穫量が2年前の半分以下にまで減少しています。栗の生産がなくなれば、我々も万羊羹を作れなくなり、楽しみにしてくださっているお客様にも届けられなくなる。だからこそ菓匠風月、栗農家、そしてお客様の三方が幸せになれる施策を考えました」

絶え間ない努力の末に掴み取ったファイナリストの称号

藤田さんは茨城県で初の「アトツギ甲子園」ファイナリストであった。県産品である栗を採用した施策は茨城県のPRにも繋がり、行政からも高い評価を得たという。家業に入ってからの数年間、何をしても結果が出ず、父から「浩一に菓匠風月は任せられない。このままだと店が潰れてしまう」とまで言われた藤田さんの、たゆまぬ努力が報われた瞬間だった。

「僕は和菓子職人なので、他の経営者との差を埋めるためには、人より行動をしなければいけない。そう思って周りの何倍ものスピードで動くことを決め、いろんなセミナーを受け、多くの人に会いました。『アトツギ甲子園』で優勝はできませんでしたが、だからこそ現状に満足せず、今も前に進めているのだと思います」

藤田さんが惜しみない努力の末に掴み取ったファイナリストという称号。それは藤田さんの糧になっただけでなく、大学生向けの講義依頼が増えるきっかけとなり、茨城県をはじめとする地元で手土産品として認知されるようになった。また、地元企業のお中元や記念式典の引き出物として選ばれるなど、その影響は広がっている。

現在、菓匠風月は最高級の栗の香りを最大限に引き出す独自の調理法とイギリスのデザイン賞を受賞したパッケージデザインの高級和菓子を製造・販売している。その品質の高さが注目を集め、メディア出演を通じた知名度向上により、企業からの問い合わせも増え、好循環が生まれているそう。

藤田さんはピッチで台湾やシンガポールでの和菓子のECサイト販売を掲げたが、今ではそれも着実に伸びており、百貨店からのポップアップストア出店依頼も舞い込むようになったという。
更に、アメリカを含む海外展開も少しずつ進み始めている。


長年の修行で手に入れた技術や知識を用いた和菓子を全世界の人に届けていく

「今年はニューヨーク(以下、NY)の展示会に出展し、世界的な有名ホテルのエグゼクティブシェフに『美味しい!500ドルで販売できる価値がある』と言っていただけました。アメリカでも通用する可能性が十分にあることを実感でき、大きな自信に繋がりました。海外のロジスティックの検討や現地との関係構築など、海外展開するためのタスクが明確になったのは大きな進歩です」

この15年で、日本におよそ3万軒あった和菓子屋は1万軒以下にまで減少している。和菓子屋は自分たちで価格設定をする権利があるため、価格という足枷を外し、強みを活かした販売戦略を立てる必要がある。菓匠風月の取り組みが成功事例として世間に広まることで、和菓子業界が徐々に変わっていくのではないかと藤田さんは語る。

一方で、藤田さんがアトツギとして挙げた今後の課題は、組織の構築。これまでの菓匠風月は家族経営で、法人化したのは藤田さんが代表になった2020年のこと。現在は10名体制で製造や販売などを分業している。今後は組織強化をしていくことで、スピード感のある事業展開や従業員の満足度向上を目指している。

「日本と言えば和菓子」と言われる世界を目指して

藤田さんの今後の展望は、ジャパニーズフードといえば「RAMEN・SUSHI・WAGASHI」と言われる世界を作ること。

「NYのタクシーに乗車した際に、タイからアメリカに移住した運転手と話す機会がありました。彼のアジアに対するイメージは『中国、韓国、日本』の順。NYには日本人が比較的少ないとは聞いていましたが、改めて日本の印象が弱いことを痛感しました。さらに、彼が挙げた日本のイメージは『アニメ、ラーメン、寿司』の3つに留まり、日本酒さえ認知されていませんでした。和菓子の認知度の低さや日系スーパーの客数の少なさに悔しさを覚えましたね。

だからこそ、いつか日本の食と言ったら真っ先に和菓子が思い浮かぶ世界を作りたいと考えています。将来的には菓匠風月の海外拠点を設立し、和菓子職人が海外で働くための足がかりを提供したいです。この取り組みで、和菓子業界全体が発展し、高品質な原材料を供給してくださる日本の農家さんに対しても、貢献できると信じています」


「菓匠風月」店内。海外店がオープンする日も遠くないかもしれない

最後に、今後「アトツギ甲子園」にチャレンジするアトツギにエールを送ってもらった。

「僕が全国に出場したのは、『アトツギ甲子園』が初めてでした。それまでは自分が全国の人と肩を並べて同じ舞台に立てるとは思っていませんでしたが、『アトツギ甲子園』に挑戦したことで、一気に自分の景色が変わって。一度書類審査で落選した僕でもファイナリストになれました。みなさんも諦めずに挑戦すれば絶対に届きます。

僕が『アトツギ甲子園』でファイナリストに選ばれたことは、親に認めてもらうファーストステップにもなりました。ピッチの内容を考えるときには事業の見直しや将来設計もするので、経営者にとって大事な自己内省にも繋がります。

大人になってから何か新しいことに集中して取り組むことなんて滅多にありませんし、僕は気持ちが晴れやかになるくらいやりきったと思えます。小さな一歩を重ねていくことは、大きな成長になります。ぜひみなさんも挑戦して、やりきった充実感を味わってもらいたいです。頑張ってください!」

既存の概念にとらわれず、新たな和菓子の道を切り拓いている藤田さん。自社だけでなく、和菓子業界や農家のことまで考える視野の広さや熱量の高さには胸を打たれた。『日本と言えば和菓子』と言われる世界もそう遠くないだろう。



事業者名:株式会社常陸風月堂 (茨城県日立市)
代表者名:藤田浩一
ホームページ:https://www.kasho-fugetsu.net/
SNSリンク:https://www.instagram.com/kasho_fugetsu/
      https://www.facebook.com/fugetudou/



<ピッチ動画リンク>

第3回「アトツギ甲子園」決勝大会 藤田 浩一氏のピッチ動画はこちら

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